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理事長のひとこと

第189回 今後の共通番号制度に関する研究について

  今回は共通番号制度の導入についての我々の見解と、今後の研究の方向性について問題提起したい。

 CIPPSでは、共通番号制度の導入が国民本位の行政への転換に不可欠だという立場から研究会を組織し、このテーマに取り組んできた。昨年4月7日には、内閣府で行われた「社会保障・税に関わる番号制度に関する検討会」にも出席し、共通番号制度の導入についての我々の基本的な考え方を述べているが、その後内閣においても、概ね我々がこれまで主張してきたポイントを取り入れ、共通番号制度を導入し、新しい国政のインフラにしたいという意思を明らかにしている。

 最近、これに関わり注目したい出来事が2つあった。1つは、東京地裁の判決において、国立市の住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)からの離脱を「違法」としたことである。判決では「離脱により、住民の利便性向上や、行政コストの削減、事務の広域・効率化といった住基ネットの目的が達せられなくなり、法秩序が混乱するのは明らか」と指摘した上で、「法の執行者である市町村長が離脱の判断をすることは許されない」という判断が述べられた。住基ネットとは、住民基本台帳に記されている一人ひとりの住民の氏名、住所、生年月日、性別の4項目のみを11桁の住民票コードとともに登録し、これを利用する仕組みである。我々はこの住基ネットを有効に活用する形で、我々の考える共通番号の仕組みを作ることを前提にしてきた。「市民自治すなわち自分たちが自分たちの手で新しい社会を構想し、そしてそれを効率的に発展させるためには、この住基ネットを前提とした共通番号による社会基盤創りが不可欠だ」と述べてきたのだ。したがって、今回のこの東京地方裁判所の判決はその通りだと考えている。

 もう一つ注目すべきは、政令指定都市レベルにおいて、新しい自治の方向を問うという手法がとられるようになったことである。2月6日(日)に名古屋市長選挙、そして愛知県知事選挙が行われ、河村たかし前市長が圧倒的多数によって再選された。河村氏の選挙公約では、「恒久的な住民税減税を行う」や「市議会の機能を根底から問う」といったものが挙げられており、それに当り市議会の議員数、そして市議の年間の歳費を減らすということが約束されている。現在の名古屋市議会は、市議会議員の数も多く、一人ひとりに住民が払っている年棒も高すぎるという判断を示しているのだ。
 おそらく投票者が競って彼に投票したのは、恒久的な住民税減税を実現するという一点だろう。ただそうは言っても、これだけの票になったのには、減税さえ手にすればいいということではなく、コミュニティとしての自治体が、いかなる権能を持って次の時代に臨むのかということがあっただろう。CIPPSではこうした動きを『自己統治の動き』と呼んでいる。すなわち、自分のことは基本的に自分で統治するということである。例えば、自分の家の庭を綺麗にするのと同様に、これを越えた公道も綺麗にして住み良くしたいというのは当然の思いであり、さらに広がれば、自分たちが日常的に生活しているコミュニティ全体が住みやすい環境であるために、一人ひとりの市民はいったい何をすれば良いのか、それを考えた上で、自己統治の実を上げたいということである。
 今後、河村たかし名古屋市長、大村秀章愛知県知事は、それぞれにコミュニティのあり方、自治体のあり方について、色々と問題提起をしていくと思われるが、私は、国民一人ひとりにとっての自己統治を考える上で、自治体のマネージメントの能力を向上させることが極めて重要だと思っている。では、マネージメントとはいったいどこで問われるのだろうか。現在、大きく取り上げられようとしているのは、社会保険会計のマネージャーとしての自治体の役割だろう。既に国政レベルにおいても、一般歳出という政策経費の5割以上が、広い意味での社会福祉の支出に当てられるようになった。50%を超えたのは、昨年、今年であるが、今後の高齢社会を展望すると、やがてこれが3分の2近くになるに違いないと多くの人は思っている。したがって、今後の日本社会における税負担を決めるものは、主にこの社会福祉、すなわち、医療、年金、介護、そして社会福祉全般に関わる問題ということになる。こうしたテーマについて、国ではなく自治体が切れ味のいいマネージメント能力をどれだけ手にできるのかが重要になるだろう。そのためには、共通番号が不可欠である。

 社会において、弱者救済は社会福祉に関わる基本的な概念だが、社会保障サービスをもれなく提供する上で、マネージメントがうまくないために余分な支出をしている部分は、効率化しなければならないだろう。他方、総合的な負担感、どれだけを保険料として負担せねばならないのかについては、上限を設定することが極めて重要である。一人ひとりの人間が、できるだけ自分の人生を心地良い形で終えることを考えるとき、いったいいつまで自分は生きるのだろうかということを常に考える。長寿は、国全体にとってみれば大変望ましいことだが、一人ひとりの高齢者にとっては、リスクである面もある。どれだけ手元に蓄えを置いておかなければならないのか、高齢になったとき自分の負担はどうなるのか、ということが当然気になってくるからだ。現在の社会福祉は、例えば医療については医療保険、介護については介護保険という形で別建てになっている。介護や高齢者にとっての医療が必要になる際の自己負担について考えれば、医療、介護が別建てであるのは、保険の側の都合だと考えられる。サービスを受ける側からすれば、これは総合的に考えられるべきであり、介護、医療両方あわせて保険料負担はこの範囲内で済むという自己負担の上限を、社会、仕組みの方が設定していることが、高齢者にとっての安全、安心に繋がるはずだ。しかし現在はこれが調整できていない。共通番号がもし導入されることになれば、当然この総合上限の設定が自動で可能になり、将来に亘る保険料負担に目処をつけることができるというメリットを高齢者側は手にする。
 小泉政権当時導入された75歳以上の高齢者についての保険制度については、75歳を「後期高齢者」と呼ぶことに対して不快を感じる人や、保険の所属が国民健康保険に変わるケースにおいて、保険料の拠出と給付関係について今まで以上に不安に感じる人がいたことも事実である。しかし問題は、この保険者としての機能、すなわち保険会計を的確に運営する能力がいったいどこにあるのかである。現在の民主党政権では、依然としていわゆる後期高齢者医療についての枠組みが成立していない。現在、都道府県にこの保険者機能を委ねたいというのが厚生労働省の考え方だが、自治体の側からすれば、なぜ一番難しい問題を送り込んでくるのかという議論になり、まだ着地点が見えていない。
 保険者機能を、マネージメントとしての能力を高めるためには、共通番号の導入は不可欠である。高齢社会の今日にあっては、共通番号の導入を通じ、一人の患者が保険会計からどういうサービスを受けているのかといったテーマについて、一つひとつ基準を作ることを通じて問題の解決を図らざるを得ないだろう。一般的には、終末医療においては多額の医療費がかかり、これが保険会計に請求されていると言われている。終末医療という人間の生死の最後のところにおける医療行為には、医療サービスを受ける側も施す側も、あるいは保険会計の拠出を通じてこの帳尻を合わせる側もそれぞれに関心を持っているが、現在ここにはマネージメントというほどのものは導入されていない。その一番大きな理由は、共通番号制度がないために、例えば、人生を終える前の1ヶ月間に、Aさんのケース、Bさんのケース、Cさんのケースでそれぞれどれだけの医療費が使われ、それが保険会計にどういう形で請求されてきているのか、という具体的な数字を知ることができないことにある。しかし、こうした数字から問題点を洗い出し、ソリューションを見い出す必要があるのだ。
 今後、高齢者の数はますます増える。人にもよるが、統計学的には75歳を超えると、医療費がそれ以前に比べて格段にかかるケースが多く見られる。そして、終末医療については更に多額の医療費がかかる。こうした中で、それを保険会計に請求をし続けるということは、保険料の拠出者の負担をどんどん高くしていかざるをえないことを通常は意味する。現役の勤労者にとっては、当然保険料拠出にどこまで耐え得るかというテーマが出てくる。保険者としての機能を自治体が明らかにすることを通じて、保険は、共に助けるという意味の共助の部分におけるソリューションを納得づくで見い出していく必要があるだろう。これは、高齢化社会における民主主義の一番つらいところでもあるが、ここをくぐりぬけない以上は、21世紀における日本の民主主義は脆弱な基盤しか持たなくなるだろう。なぜならば、突然、社会保険を拠出する側において、ここまで高い保険料は納められないという拒否が起きたとたん社会保険会計は破綻するからだ。すなわち、どこかを境にして、医療あるいは介護サービスが寸断される恐れが出てくるのだ。そのときは税金で穴埋めすればよいのではないかという意見もあるだろう。もちろん、破綻を避けるためには税金で穴埋めということになる。しかし、今度は納税者一般にこの負担がかかってくることになる。ソリューションをどこかで見つけるという作業は、この社会保険会計において不可欠である。そして、この担い手として、国が全般で見るわけにはいかないだろうと多くの人に思われている。保険者機能は、最適な管理がなされることが前提であり、その単位として、都道府県が望ましいかどうかはともかく、コミュニティに降りてくることは間違いない。そういう意味において、例えば名古屋市のような政令指定都市は、明らかにこの保険者機能の革新(イノベーション)を通じて、いったい何が実現できるのか、あるいはコミュニティの一人ひとりにどういう問いかけをしながら、マネージメントの力量を引き上げることができるのか、そうしたことが問われると思う。

 私は、共通番号を導入して、この共助の分野すなわち社会保険における新しいマネージメントの能力が、コミュニティや自治体につくことが不可欠だと思う。国立市の事例で、東京地裁は、住民基本台帳のシステムの外にいることは、市町村長が選択できる問題ではないと言っているが、これはごく初歩的なことである。より重要なことは、共通番号を、自己統治の見地から自分たちの番号として使い、そして自分たちに相応しい共助のシステムをいかにして作り上げるかということである。そこにコミュニティの首長として、新しいものを見せることが必要なのではないか。特に政令指定都市レベルの大きな都市においては、当然その機能が期待されていると言えるだろう。

 河村たかし市長は減税の公約でとりあえず支持を得た。しかし次の段階では、グッドマネージメント、良いマネージャーとしてコミュニティを代表して、共助の部分にどのような原則を見い出すのか、そしてそのときにインフラとして共通番号をいかにして使いこなすのかが大きなテーマになると思う。こうした自治体のある種の突出は、政党政治の枠の外側から起きている動きである。こうした動きは名古屋市、愛知県に限らず、既に大阪府や新潟市、新潟県でも見られている。首都圏にある政令指定都市、横浜、川崎、相模原、そしてさいたま市、千葉市といったところにおいて政令指定都市の首長によるグッドマネージメントが共助の部分にどのように導入されるのか、そのための切磋琢磨は極めて重要ではないか。

 こうした共助の分野において、共通番号制度がどのようなインフラとして機能し得るのかのケーススタディについて、我々は勉強を急がなければならないと思っている。今年は、国政レベルでも、共通番号をどう導入するのかについて具体的に議論が始まる。私はまず自治体、特に政令指定都市レベルの府県並みの権限を与えられているところにおいて、どのようなイノベーションが実現するのかがポイントだと思っている。こうした政令指定都市の首長に対する働きかけとして、共通番号を導入し、共助の能力を高めるためにどのように利用し得るのかということについての勉強会を設置して、何とかこの分野における一歩を踏み出したいと思っている。

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