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理事長のひとこと

第190回 エジプトの政変と非アラブ諸国の今後

  エジプトでムバラク政権が崩壊した。これによってどのような影響が中東地方に及ぶのかについてはいくつかポイントがあるが、現段階においては、イスラエルそしてイランという非アラブの国々の反応について考えてみたい。 

 ムバラク大統領が退陣に追い込まれた状態を考える際、第二次世界大戦後のエジプトの大きな流れの中で、ナセル氏とサダト氏という二人のムバラク大統領の前任者たちの業績が改めて気にかかる。ナセル氏とサダト氏については、色々な評価の仕方があるが、私自身が、エジプトのリーダーとして評価すべきと考えているのは、サダト氏である。ナセル大統領が心臓発作で亡くなった後、サダト氏が大統領に就任した。アラブの大義について、ナセル氏は「植民地下に置かれたエジプトをいかにして自立させるのか、そして他のアラブ諸国との連携、連帯を中心に、ヨーロッパや米国、ロシアに対して、どのようにエジプトそしてアラブ連合とでも言うべきものの骨格を作るのか」という大きなテーマを唱えてきた。しかし、アラブの大義を掲げても経済は好転しなかった。これに対して「イスラエルとの関係が厳しい対決関係にある限り、エジプトの平和発展はない」というのがサダト大統領の考え方であった。サダト大統領は究極的にはイスラエルとの間に平和条約を締結するという、米国の考えていた中東プランに、次第に軌道を合わせることになり、キャンプ・デービッド合意という形で、当時のカーター米国大統領の下においてイスラエルとの平和条約への一歩を踏み出した。サダト大統領は、当時のイスラエルの首相であったベギン氏と二人で議論をはじめ、イスラエルとの平和条約締結という、アラブ社会として初めてイスラエルを国家と認める大きな決断をした。エジプトがイスラエルとの軍事的対決から解放され、本格的に経済建設に取り組むことが可能になる枠組みを作ったのがサダト大統領であった。
 しかしこのイスラエルとの平和条約を締結するという流れは、イスラム社会にあったもう一つの考え方、すなわち侵略国家イスラエルを国家として認めてよいのか、という原理的な問題を一方において引き起した。1981年にサダト大統領が暗殺されたのは、侵略国家イスラエルを認めたサダトはイスラムの大義に反するということを唱える一派が軍人の中におり、引き金をひいたからであった。ムバラク氏はその後大統領になり、結果として30年続く現在までの体制をつくった。当然ながら、ムバラク大統領は、サダト氏の意志をそのまま繋いできた。米国との協調を重んじ、かつイスラエルを国家としてこの地方に存続させるという大きな流れの中で、今回ムバラク大統領が追放されたのは、エジプトの中における社会建設、経済建設という点において、彼は決して改革者でもなければ、新しいビジョンを描ける人でもなかったということだろう。エジプト社会には矛盾が広がり、若い人たちは十分に経済的機会を得ることができなかった。これが今回の反政府の動きの一番大きな理由となった。腐敗する政権という名が冠せられたとしても仕方がないというのがこれまでのエジプトの実態であったのだ。
 サダト氏が当時の国際情勢の中、エジプトにおける色々な批判とアラブ社会における色々な思いがある中、キャンプ・デービッド合意からイスラエルとの平和条約に踏み出したことは、大変な功績だったと私は思っている。そして彼の思いはムバラク政権の30年には伝わらなかったというのが真実ではないだろうか。

 ちょうどムバラク氏の時代がはじまったころ、一方でイスラエル、一方でイランの体制が動き出している。

 イスラエルは建国後はじめてアラブの主要国家であるエジプトから国家としての承認を受けた。それまでいつ周りのアラブの人々によって海に追い落とされるかもしれず、世界の中で最も脆弱性から免れることのできなかった国家であったイスラエルは、ようやく存続の足がかり、国家としての持続性の足がかりを得た。当時のノーベル委員会がサダト氏とベギン氏にノーベル平和賞を与えたように、このことは中東における新しい枠組み作りであり、大きな意味があった。しかし、その後のイスラエルの情勢は簡単ではなかった。 
 当時すでに、ソ連、東欧におけるユダヤ人の立場は相当辛いものであり、ソ連邦末期には、ユダヤ人たちが、こうした場所から国家として認められたイスラエルに戻っていった。紀元後70年から、2,000年以上に亘り、西ヨーロッパ、東ヨーロッパ、ロシア、そしてアジア等、各地に散っていたユダヤ人がイスラエルに戻ったのだ。イスラエルは、彼らに職を与えるために入植地を増やすという形をとらざるを得なかった。イスラエルは建国以来、expansionismとでも言うべき政策をとってきた。自国の国家としての存続を保証するために、繰り返す中東戦争のたびに、占領地を実質上増やし、そこに入植者を入れるという形をとっていたのだ。その後もイスラエルは、1980、1990年代を通じて、世界から集まってくるユダヤ人を受け入れるため、そして農業生産を確保するため、入植地を増やし続けた。その結果、パレスチナの人々との紛争がさらに過激なものになるというサイクルに入っていった。そういう意味では国家建設の足がかりを得たものの、依然として中東においてのイスラエルの位置づけが定まらないという状況が続いたのだ。

 他方、1979年にイスラム革命という形で、イランの神権体制が発足した。サダト氏が暗殺された1981年には、イスラエルにも新しい動きが起き、イランにも新しい動きが起きていた。ムバラク政権の30年は、イスラエルにおけるまた別の意味での30年、そしてイランの30年と重なってくる。

 現在、ムバラクが追放された段階において、イスラエルとイランの反応は極めて興味深いものだと言えるだろう。イスラエルは、次に出てくるエジプトの政権の骨格がどういうものになるのかに大変な関心を持っている。悪いケースを考えれば、次のエジプト政権がイスラエルとの平和条約を破棄する可能性もあり、イスラエルがエジプトの政権の行方に大変な関心を持っていることは当然である。しかし、これまでイスラエルが得意としていたような情報あるいは特定のチャネルを通じて影響力を及ぼすというような手法は、現在のエジプトには効かないだろう。今回はフェイスブックをはじめとするソーシャルネットワークという若い人たちのコミュニケーションを通じて、ムバラク政権を追放した。この意味において、新しい政権の参加者の広がり、エジプトにおけるデモクラシーの広がりは、広範なものになったと言えるだろう。もはや特定のチャネルを使って操作するようなことは、イスラエルにとって到底不可能であることは明らかである。これは同時に米国の戸惑いでもあると言えるだろう。米国もこのイスラエルの国家としての存続を保証しつつ、エジプトにおける民主化をどのように実現するのか、そしてそのことが周辺アラブ諸国にどういう影響を持つのかを考え、本格的にこの中東政策を根底に遡って考えなければいけないところに来ているが、イスラエルもまたそうだということになる。もう少し長い目で見ると、米国とイスラエルとはどこまで一緒で、どこから距離をとるのかということが、当然米国の政権にとっても大きなテーマとなるが、こうしたテーマがすでに始まっていると言えるだろう。現在のところ、様子を探るのに精一杯というように思われる。イスラエルの存続のあり様がどのように保証されるのか、そのことをめぐってどのような姿勢を作ればいいのか、そのときに米国とイスラエルとの間で、どこまでが同盟関係があり、どこからは距離を置くのかについて、現在は、ただひたすら注意深く観察しているという段階であるが、今後、本格的な議論が始まるだろう。

 イランの場合は既にもう少し複雑になってきているように思う。イランは最初の段階、すなわちムバラクが追放された段階において、エジプトの国民はよく民主主義の実現に踏み出したという、エジプト国民に対しての賛意を表していた。しかし、イランでは一昨年の大統領選挙後の開票過程に、グリーンムーブメントと言われる、テヘランの北部を中心とした街頭中心に、携帯電話等の通信手段を使った大きな政権批判の渦が起きており、この際、アフマデネジャド政権はこれを抑圧するという対応をとっている。
 今回エジプトでソーシャルネットワークを中心としたコミュニケーションが新たな現実を生み出した事実から、イランでグリーンムーブメントが再び起きるのではないかというテーマがいわゆる西側からは提供されている。もちろん現在のイラン政府は問題を逆に捉えており、米国がこれまで支援してきたアラブ諸国が、内部腐敗を大きな理由として脆弱性の幅を大きく見せつつあり、防御ができない弱い腹を見せつつあるのだ、というのが公式的なイラン政府の見解である。しかし他方、若干ではあるが、イランの内部でもグリーンムーブメントをもう一度という動きもあるようだ。そして、米国政府からは、そうした動きが大きなうねりになることを望んでいるというステートメントが報道官の発表を通じて出されている。
 こうしたことから、ただ単にアラブ諸国がチュニジアから始まった大きな反乱に巻き込まれるだけではなく、中東地域全域、イラン=ペルシャも含めて巻き込まれていくという構図ももう一つあると言えるだろう。イラン政府の発言しているように、エジプトにおける民意の反映は他のアラブ諸国、湾岸も含めたアラブ諸国にも広がり、米国のこれまでの中東政策の根底が揺らぐこと自体が予想されるという流れと、イランの内部にも新しい反政府の芽が更に広がり、イラン政府はこれを抑圧しなければならなくなるという流れ、いずれの方向にイランが動くのかということも大きなテーマになりつつあるだろう。

 2011年、イスラエルの中ではどういった議論が出るのだろうか。イスラエルの入植地を増やすという政策に対して、米国政府はもう引き上げるべきだと非常に厳しく言ってきている。しかし、イスラエルの政権はこれを呑んではいない。このことは今後どうなるのか。これまで中東の道を形作っていたのは、親米のアラブの政府、反米のイラン、そして米国との強固なつながりを前提として、時に横着をするイスラエル政府、という構図であった。しかし、今後それぞれが変わる可能性がある。
 アラブ諸国に大きな変化が起きていることは間違いないが、それだけではなく、イスラエルもイランも含めた大きな変化が今この地域に起きようとしていると思っている。

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