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理事長のひとこと

第219回 TPP加盟問題と日本の農業

  TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の協議に日本が参加するのかどうかというテーマが緊急度を増している。もっぱら農業の問題が取り上げられているが、今回は、この農業の問題をどのように国際社会の中に置き直すことができるのかという視点から考えてみたい。

 昨今の日本と国際社会との関係では、サッカーをはじめとしたスポーツの国際的な統合過程が日本の農業を考える際にも参考にされるべきでないかと思う。
 日本のサッカーの場合、Jリーグが作られ、都市間の対抗という形での競争条理が用意された。このため、若い選手がサッカーという種目で自らの生活あるいは自らの業績を賭ける基盤ができた。このJリーグの全国的な基盤の広がりの中で、ある時期からサッカーの本場ヨーロッパでプレーする日本人選手も出てきた。最近では、世界で活躍する日本選手の映像を我々もすぐ見ることができる。日本人選手の中にはもちろん、身長や筋肉を見てヨーロッパの選手たちと競っても問題がなさそうな体の大きい選手も出始めている。しかし総じて言えば、平均的な日本人とさほど変わらない体格的な特徴を持った人が、次々と名選手の道を歩もうとしている。彼らが大変な努力をしていることは間違いないが、彼らが国際社会で活躍するのを見ていると、サッカーというゲームは、ただ単にボールを遠くに投げたり、重いものを上げたりということだけではなく、総合的な体の機能と判断力を背景とした色々な働きが要求されることがわかる。もちろん基本的に足が遅くてはどうにもならないし、球をさばく体の柔軟性がいることも確かだろう。おそらく攻撃でも守備でも、背が高いほうがチャンスに恵まれることは間違いない。しかし、日本人選手が身体的な若干のハンディキャップを克服しつつプレーをしている姿に我々は日々感銘を受ける。こうした選手層の厚さが日本のサッカーを少なくとも国際的なレベルに引き上げることになっているのだろう。昨今では女子チームも層が少しずつ増え、実際にワールドカップで勝者の地位にも就き、裾野も広がりつつある。

 日本の農産品の出来栄えを見、それを市場に出す際、日本の土壌は決して劣後しているわけではないことに気づく。落葉樹が積み重なるようにしてできた日本の土壌は、農産品を作るのに極めて適したものである。また中山間地においても例えば一日の中で気温の変化の幅があるところでは、それに相応しい果物等が出来ることもよく知られている。
 問題は日本の農業にいわばプレーヤーとして周りに感銘を与えるような人物の像が薄いことだろう。農業の問題には、日本の社会の中にある伝統的ないくつかの問題点がある。例えば100年前に日本に生まれた人たちにとっては、農業は惨めな産業というイメージが強かったようだ。第二次世界大戦後だけをとっても、当初は農村にこうした暗いイメージが伴ったことは間違いない。
 農業経済学者の東畑誠一氏は、日本の農地開放の際、大地主の家に生まれたにもかかわらず、これに賛成し調査をした人物だが、彼は敗戦から10年ないし15年経った時点で、「日本の農業は明るくなった」という表現をしている。これは、農村に生まれた青年にとって、農業が初めて職業選択の対象になり、これが農村に明るさをもたらしたことを意味している。即ち1960年代に入る頃遂に、農業に従事することは自らの選択の結果である時代がやってきたのだ。かつて、日本では農村を中心として移民が生まれ、過剰労働力の問題は農村に常に暗さを押し付けてきたが、50年程前にこうした時代は終わり、大都市に近いところではもちろんのこと、大都市と距離の離れたところでも、農村に残ること、農業に従事することが選択の対象になったのだ。東畑氏の言葉を借りれば、日本の農村が明るくなって既に半世紀が経っているのであり、日本の農業のあり方、農業に従事することがどういう意味を持つのか、あるいはそこに生き生きとした群像が生まれることによってどのような感銘に繋がるのかについて、もっと本格的に論じられて然るべきだと思う。そして当然そのためには農地の利用について、農業と農地、あるいは農業と農業団体との関係を考えなければならない。農地の利用については広域的な影響があるため、単なる私有財産の対象ではなく、様々な問題を処理する「農業委員会」があるが、こうした団体には、選択肢として農業を選ぶことができる時代以前の、農村が暗い時代に作り上げられたものが多く残っている。現在農村では高齢化が進み、農民の平均年齢はもはや65歳を越えている。66歳というデータを見ることすらある。明らかに他の産業においては定年を迎える年齢の人が平均的な農業従事者ということになると、新しい血が投入されなければならないことは当然である。感銘を持って農業生産を語るためにはどうするのか、産品を消費者の手元に送り届けるにあたりどのような工夫があり得るのか、あるいは農業に伴う天候の問題、河川等の問題、病害虫の問題等のリスクあるいは昨今無視できなくなっている鳥インフルエンザ等の世界的なリスク要因をどのようにコントロールするのか、そしてリスクを分散するためにはどのような連繋が必要なのか等の問題については、多くの人が議論しなければならないだろう。シェアできるリスクが何なのか、最もうまく市場に安定的に製品を届けることはどのような組み合わせが必要なのか、もっと多くの議論がなされ、そしてそこに生き生きと働く人々の絵を見ることが望ましい。

 冒頭サッカー選手のことを述べたが、諸外国の人々と比較して必ずしも身体的に優れているとは言えなくても、色々な判断力や訓練そして仲間とのパスワークや相手の裏をかく戦略といった様々な要素を駆使してゲームの主役になろうとしている選手たちが我々に感銘を与えているように、農業においても同じことが言えるのではないだろうか。国際的に活躍する人々が日本の農地だけではなく、国際社会に打って出ることもあるだろう。そしてその背景には日本のJリーグのように、この農業分野において業績を上げる厚い裾野がある。これが国際社会の場で自らの力量を試そうとする人を輩出すると思う。
 しかし、現在の農業についての捉えられ方は東畑誠一氏が指摘した半世紀前よりもさらに前の農業論、農村論あるいは地域社会論に余りにも縛られているのではないだろうか。TPP反対を唱えている農業団体は、今後さらに農業従事者の高齢化が進み、10年後、20年後の日本農業はいったい誰が担うと考えているのだろうか。現在日本においては耕作放棄地が広がっているが、こうした本来使われなければならない日本の農地が、利活用されるべきものがされていないことに対してはどのように考えているのか。TPP体制に入れば日本の農業は崩壊するという主張もあるようだが、TPP加盟以前に既に日本の農業は、崩壊の道を歩み始めているという認識も多くの人に持たれている。

 こうした農業の問題を、国際社会の中にもう一度置き直すということからいけば、TPPの枠組みは日本の農業の明日を考える上において不可欠ではないかと私は思っている。もちろん一つひとつの立論は個々の農業分野におけるリーダーによってこなされるべきであり、サッカーをテレビで見て評論するようなわけにはいかないのと同じである。しかし、我々は明らかにこの分野においても感銘を伝えるに足るプレーヤーを見たいと思っている。そういうプレーヤーを見るためには、いったいどのような支援が必要なのか。即ち、この分野における経済活動を活性化させるためにどのような支援の手があるのかを具体的に考えてみたいと思っている。

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