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理事長のひとこと

第238回 シンポジウム「東日本大震災後と日本のガバナンス(1)」を終えて

  今回は3月23日(金)に我々CIPPSで開催した「東日本大震災後と日本のガバナンス」というシンポジウムの議論をあらまし紹介したい。正式な報告書は改めて作るが、私が感じたことを四点述べたい。

 このシンポジウムはCIPPSの尾崎哲男主任研究員、松木淳一主任研究員が発表した内容に対して、それを受ける形で宮城県岩沼市長の井口経明氏、福島大学名誉教授の鈴木浩氏、そして民主党衆議院議員の小川淳也氏にディスカッションしていただくという内容であった。今回はこのテーマに関わる第一回のシンポジウムであり、第二回以降も続けていく予定であるが、今後どのようなテーマが残っているのかも含めて私の思いを述べたい。

 第一点は、福島第一原子力発電所の事故に関わる問題である。この原発から放射線が漏れ出し、警戒区域や避難区域となった町村の人々は何らかの形で緊急対応をしなければならなかった。しかし、これに関してきちんとした指針は何もなかった。自治体の首長は頼りになる情報が何一つない状況で、それぞれに指示を出す以外なく、結果として放射線量が蓄積した地域の中を逃げ惑うことになった。今後もこのことについては、実態と法制度に関わる問題として、どうすればよかったのか、何が問題だったのか等が明らかにされるだろう。しかし、既に1年以上が経過しているにもかかわらず、依然としてこの点について政府の報告書が出ていないのが現状である。
 さらに厳しいことに、廃炉の問題とともに放射線による汚染物質をどのように中間貯蔵地に集め管理するのかというテーマも浮上してきている。現在、政府が中間貯蔵施設の建設をお願いしている地域は、警戒区域や避難地域に当った自治体、町村と重なっている。このテーマに関してもまた自治体ごとに個々の意思決定になる可能性が出てきているのだ。当然今回のシンポジウムではこの中間貯蔵施設の問題点も議論になった。政府は福島県双葉郡の8町村に、最終処理地は別の場所とするという大前提で中間貯蔵施設の設置のお願いするという立場をとっている。しかし、最終処理施設の受け入れ先を日本列島のどこかで見い出せるのかについては何も決まっていない。また、中間貯蔵とされる30年の間に技術開発がどの程度まで進展するのかという問題もある。それとの関連で、中間貯蔵施設が中間に止まらず、最終処分に至る場所という可能性も出てきているのだ。このように考えてみると、福島の原発事故によって自治体が受けた損傷の問題は何も片付いてはいないと言える。しかも極めて長期に亘ってこの問題が福島にのしかかってくるだろう。
 今回は、ガバナンスをテーマとしてシンポジウムを開催した。これはどうしても最後の最後まで残る問題だろう。このテーマに関してどのような基準を作るのかという非常に厳しい問題について、依然としてまったく整理がついていない事実が、シンポジウムに参加した人々の間でため息とともに改めて確認したことである。

 二番目の点は瓦礫の撤去の問題である。大雑把に言えば、今度の津波によってそれぞれの市町村で処理能力から言って、20年から30年分の処理量の瓦礫が生まれたという現実がある。この1年間に処理できたのは概ね5%程度だという。20年分のうちの1年分と考えれば5%程度になるだろう。しかし、この状態では復興、復旧の手順もうまくいかない。なぜ瓦礫の撤去というごく初歩的な、最初の段階からわかっていた問題がここまで難しい問題になってしまっているのだろうか。この課題を解決するためには、どこが問題だったのかを確認する必要がある。瓦礫の撤去は被害を受けた自治体以外のところで受け入れてもらう以外にないだろう。被害を受けたところで処理できる量は限定されているからだ。しかしこのことが依然として今日まで、まず残っているという問題がある。
 また、瓦礫撤去に関わって国がどのように関与するのかが最後の最後まではっきりしなかったこともある。民主党の政治家の中には、被災地に入るたびに政治家の責任として100%国でやりますと言う人もいた。地元では国が100%やってくれるのであれば、初期の段階において自らの費用分担で瓦礫撤去に手をつけることはないという意思決定をした自治体もあった。いずれにせよ、国の方針が定かではなかったことが、瓦礫撤去の初期段階における自治体の取り組みの気勢をそいだ面がある。結果として国の費用分担は95%、5%は自治体の予算からということになったが、この間、政府の方針は二転三転した。これが今日の瓦礫問題に繋がっている。

 三番目は、ガバナンスに関わる論点として極めて重要な問題は個々の被災民と自治体との関係にもあるということである。例えば津波で家屋が押し流されてしまったうえ、次に津波がくればまた被害に遭う可能性がある地域がある。この地域にもう一度コミュニティを作ることは実質上不可能なため、例えば高台という議論もあったし、あるいは集落を集約してどこかにもう一度作り直そうという動きも当然ながら起きた。問題はそれまで住んでいた、津波によって家屋が全部持っていかれてしまった私有地をどのような値段で、誰が買い取るのかということである。実質上市場価値はなくなっているので、経済的な理由からは3.11の前の価格に今日的な根拠があるとは言えない。これに対して家屋を丸ごと持っていかれてしまった立場に立てば、3.11以前の市場価格で土地を買い取って欲しいという期待があることはよくわかる。しかし経済的価値が実質上なくなったものに対して、自治体が以前の値段を支払うことは誰が考えてみても簡単ではない。
 この1年間に、自治体ごとに首長が特定の価格水準にコミットするということが起きた。少しでも自治体の負担を抑制しつつ、新しいコミュニティ作りに取り組むために色々な努力をされている首長がいる一方で、これは被害を受けた市町村の中でたまたま少し財政的なゆとりがある特定の市町村なのかもしれない。あるいは津波の被害を受けた人々の数が相対的に少ないのかもしれない。そうしたケースでは、3.11以前の市場価格に極めて近い値段で買い取ることも可能な市町村はあり得る。事実、そうした名乗りを挙げた首長もいた。このことは他の市町村に与える影響も大きい。隣県で被災者に対して極めて暖かい取り組みをしているのになぜ我が市では、我が町ではそれがとれないのか、という議論の立て方がここには生まれる。
 津波によって市場価値が崩壊した資産にどのように取り組むのか、これはコミュニティのガバナンスにおいて極めて重要なテーマであるが、こうしたテーマに関してもまた個々の首長に投げかけられたまま、国の関与は見られない。こうした中で復興、復旧の仕組みをどのように作り上げていくのか、現在気の遠くなるような過程が進もうとしている。

 4番目にこのシンポジウムで私が気づいたことは、この被災地をリポートする側の評価基準の問題である。
 もちろん言論の自由があるし、個々の報道機関はそれぞれに大変な努力をしてリポートをこの1年間続けてきている。しかし、リポートの評価基準はどうしても被災者に寄り添う形が多くなる。このリポートの存在そのものは日本国民にある種『絆』とでも言うべき体験を伝え、義援金等も従来に比べ相当多く集まったという意味で効果のあったことと言える。しかし、個々の自治体の首長、あるいは異なった自治体に所属する住民の立場からすると自らのコミュニティあるいは家計をもう一度組みなおしていく上に何が基準になるのか、どこまで支援は期待でき、自助努力はどこまでやらざるを得ないのか、この線引きにおいて、これらのリポートはその役割を果たしていない。
 被災者に寄り添う視線で報告をまとめることはリポーターにとって重要なことだが、他方で各メディアのリポートは、この地域に新しいコミュニティを作るに当り、自助、共助、公助の基準をどう作り上げるのかという問題を避けている面がある。そのような厳しい話に踏み込んだのでは、新聞記事にもテレビ番組にもならないという対応があったと被災者の人々、特に被災自治体の首長は感じている。

 今回のシンポジウムにおいては、明日を築くに当っての評価基準、特に自助、自らを助ける分野において、どこまでは覚悟しなければならないのかについて、一人ひとりが見極めるために役立つような評価基準の作成を怠っているのではないかという指摘が相次いだ。このことは我々CIPPSにとっても極めて重要なテーマである。どのような評価基準を被災者との間で用いるのか、自助とはいったいどの範囲であり、共助、公助は何を埋めることなのかということについての基準設定はまだできていない。このテーマは大変辛い重い課題だがCIPPSでも取り組まざるを得ないのではないかと感じている。

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