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理事長のひとこと

第250回 新しい時代の安全保障問題

  海外出張が重なり、久しぶりの「今週の一言」になるが、今回は「新しい時代の安全保障」というテーマに取り組みたい。

 安全保障については大きな図式の変化が起きている。要因として二つ挙げることができるだろう。一つは「化石燃料における価格変化が安全保障に及ぼす影響」というテーマ、もう一つは福島第一原発の大変重篤な事故以来、大きなテーマとなっている「原子力発電に関わって安全保障の枠組みをどう作り上げるのか」というテーマである。
 何れも世界中の安全保障に関わるテーマと密接な関係にあると言える。第一に「化石燃料の価格変化が安全保障に及ぼす影響」であるが、米国を中心に起きている『シェールガス革命』により、米国にとって中東の見え方が大幅に変わりつつあることが大きい。今後10年〜20年を展望してみると、米国のエネルギーの内、化石燃料に関わるものは、輸入への依存が減るだろう。南北米国でほぼ自給することが可能になるという仮説も、相当の信憑性を持って語られるようになっている。元々、米国には、「中東原油に依存し過ぎることが米国の安全保障の基本を損なう」という考え方が存在していた。しかし、1970〜90年代には、中東原油への依存度を下げることが可能になるソリューションを見つけることが非常に難しかった。このため、米国には「イスラエルの生存」と「エネルギーへのアクセスの維持」という中東に対する二つの命題があった。
 21世紀に入ると、米国において中東原油への依存度を下げる手法について幾つかのレポートが発表された。一つは「原子力発電を復活すべきだ」というもの、もう一つは「バイオ燃料を中心に据えて考えるべき」だというものであった。例えば、米国で国防総省や国務省にも在籍したことがあるMITのジョン・ドイチェ教授は、「原子力発電所の復活」と大豆やとうもろこしを中心とした「バイオ燃料」を作り出すことを主張していた。21世紀に入ってからは、こうした主張が共和党政権においても、民主党政権においても、基本的に米国の採るべき態度として採用されてきた。
 このことは、サウジアラビアの猜疑心を刺激することとなった。米国が燃料において自立する方向をより強めれば、サウジアラビアを維持することに対する関心を失くすと考えられたからだ。現実にサウジアラビアからの原油購買が減れば、原油の値段にも影響を与え、「サウジアラビアの持続的な経済発展はどのようにすれば可能なのか」というテーマが生じることとなる。こうした議論は10年近く論じられてきたが、この議論に決定的な影響を与えたのは、『シェールガス革命』であったと言える。米国においてシェールガスが次々と生産拡大され、その産地におけるガス価格が大幅に下がることによって、中東の見え方が大きく変わってきたのだ。最近では、シェールガスに依存するシステムは、地球規模的に見ても相当望ましいものになりつつある。米国において温暖化ガスの排出量の削減が現実に生まれ始めているからだ石炭を炊く火力発電所からシェールガスにより発電する仕組みに替えるだけで、排出される地球温暖化ガスは急速に減るというデータが既に出始めている。今や『シェールガス革命』は、想定外と言っていい程にCO2排出削減に繋がり始めている。
 19世紀初頭の米国には『モンロー主義』というものがあった。当時、独立国になった米国は、「歴史の背景を帯び権謀術数が渦巻くヨーロッパに介入されること」を避けたかった。ヨーロッパに自国への介入を控えさせ、自分達もヨーロッパには介入しないという考え方が『モンロー主義』の基本であった。現在、21世紀におけるモンロー主義とでも言うべき、南北アメリカにおけるエネルギー自立の図式が次第に可能性のあるものとして映し出されている。こうした「絵姿」を映し出すことができるようになると、米国の大西洋への関与は減る。そして、その大西洋の中にはアラブ諸国も含まれる可能性もある。
 米国の安全保障の舞台は太平洋に移っており、オバマ大統領も「米国は太平洋国家だ」と再三述べている。オバマが大統領再選後、最初に訪問したのが東南アジアであったことも極めて興味深い。中東における紛争の最中、バンコク、プノンペン、ヤンゴン、という都市から中東情勢の急変を観察し、かつ、指示を出すオバマ大統領という図式が成立したのだ。
 ドイツでは「再選後の米国大統領は何故『ユーロ圏における問題解決に米国も参画する』という意思を示す意味においてヨーロッパを訪れることなく、先にアジアを訪問したのか」という議論がメディアに浮上していた。「ヨーロッパは袖にされた」とでもいうような表現を通じ、米国の大西洋離れを実感するドイツの人々の議論であった。このように、米国の「太平洋シフト」は本物ではないかという流れを前提に考えると、現在バーレーンに本拠を置く米国の第五艦隊は今後も維持されるのだろうか、という疑問が生じる。米国の中東原油への依存度が低下することになれば、「高い費用を投入し、アラビア湾岸において第五艦隊を維持する理由はない」との議論もいずれ浮上するという予測もある。エネルギー自立を通じて、地政学的変化が生ずる可能性があるのだ。
冷戦時代、中東地域においては、米ソがパワー・プロジェクション(戦力投射能力)を通じてこの地域に力を及ぼす、古い言葉でいえば「資源収奪を巡る米ソ間の角逐」とでもいう図式があった。しかし、ソ連邦解体後はこのパワー・プロジェクションという概念そのものが無くなった。地域紛争の結果残ったのは、「シーレーン・オブ・コミュニケーション」即ち、この地域からエネルギーが搬出される経路が脅かされることをどのように防止すれば良いのかというテーマであった。地域紛争がエネルギー需給における過酷な状況を引き起こさないためには、例え地域紛争が起きたとしても、激しくならないための抑止力として、米軍の存在が必要であった。
 しかし、現在、このテーマは少なくとも米国にとって第一義的なものではなくなりつつある。イランの核兵器保有を絶対に阻止するということについては、米国の態度は今日まで変わっていない。核不拡散の体制をどう作り上げるかというテーマは当然重要だが、どこかの時点でイランの核開発を阻止できるならば、例えば米国がイランとの間に原子力協定を結び、安全を確保することができるならば、即ち、「核の不拡散体制の枠組みの中にイランを入れる」ことに成功すれば、「中東からの足抜け」という米国にとっての一つのソリューションが展開する可能性もある。
 現在、米国の内部やヨーロッパでもこうした議論がされようとしている。このことは本当に新しい事態だと言える。「結局、中東の化石燃料に依存するのは東アジアなのではないか。」というコメントも中にはある。それは中国や日本を指すだろう。そうなると、「中国や日本のエネルギー確保のために、米国の第五艦隊をこの地域に置くことは、米国の納税者を納得させることはできまい」、というコメントすら出ている。地政学的な変化がここにも及びつつある。

 世界の安全保障を考えるもう一つの視点は、「原子力発電に関わって安全保障の枠組みをどう作り上げるのか」というテーマである。福島第一原発の事故以来、我が国においても「ニュークリアゼロ(Nuclear zero)」、即ち原子力発電をゼロにしていく可能性が一つの選択肢として議論されるようになった。しかし、日本での議論の立て方について、米国では相当の批判が出ている。その理由としては、日米原子力協定によって日本が核燃料サイクルを完成させる可能性を手にしたこともある。即ち、「使用済み核燃料からプルトニウムを抽出し、これをもう一度MOX燃料にして燃やす」という一つの核燃料サイクルの形成について、米国が合意し、日本はあくまでもIAEAに対して透明性を証明しつつ、この核燃料サイクルの完成に取り組むことになっている。原子力発電所の使用済み核燃料から、プルトニウムが無秩序に抽出されることになれば、これは核拡散に繋がる。日本は核拡散に至らないサイクルを持つことになったのだが、世界の中で、核保有国ではなく使用済み核燃料からプルトニウムの抽出が認められているのは日本だけである。日本はここに技術を集約し、技を見せることが求められている。
 「ニュークリアゼロ」という選択は日本の内部で議論されているが、12月の総選挙においても一部では大きなテーマとして取り上げられる可能性がある。しかし世界の原子炉の現状からは、もし日本が使用済み核燃料の処理技術の完成に意欲がない、あるいは技術が完成せず、また、技術が拡散してしまうのであれば、「日本は一体、核不拡散というテーマについてどう考えているのか」という疑問が生じるだろう。原子炉をこれから作ろうというベトナムやポーランドに、日本から販売しようということも議論されており、商談として行われつつあるが、そこには使用済み核燃料の問題も含められている。もし、日本が「ニュークリアゼロ」という選択をすることになると、核燃料サイクルに関わる技術は崩壊してしまう。このことについての言及・検討なくして、国内では「ニュークリアゼロ」のみが議論されているのが現状だと言えるだろう。
 また、世界の中で原子炉が次々に拡大していく中、日本は国際的な関与という面においても、これまで蓄積してきた核燃料サイクルに関わる技術、そして、安全な炉を設計し、設置するという技術体系そのものをどう考えているのかが問われるだろう。
 過去30数年、スリーマイル島以降の米国においては新規の原子力発電所が建設されなかった。米国に核処理技術の蓄積は摩耗していったと言える。イギリスにおいてもほぼ同様の経緯を辿っている。世界の原子炉設計や安全な原子炉の運転に関わるノウハウは日本やフランスを中心とした特定の国に集中している。この能力を前提にしなければ、世界の安全網の形成は簡単ではないのが現実だろう。日本におけるニュークリアゼロの選択が、果して国際社会に対するエンゲージメントとしてあり得るのかどうか、この検討が日本の内部でどこまで行われているのかに対する疑問が諸外国から日本に対して提出されているのが現状である。

 こうして考えてみると、21世紀の安全保障というテーマは、20世紀の冷戦時代の安全保障体系と大きく違う図式になっていることが分かる。我が国においても、安全保障のテーマを改めて議論し、21世紀の日本の国際社会の関与の原則について考えなければならない。
現在、世界では新しい情勢を分析すると共に、様々な提言や予測が提出されている。新しい情勢が次々と展開する中、日本の安全保障における議論は中断し、過去のものに影響を受け過ぎていたり、国民の心情・日本列島内部における心情に引きずり回され過ぎていたりする。もう一度、世界で起きていることを新しい地図と新しい枠組みで整理した上で、日本の安全保障に関わる世界的関与を改めて議論する必要があるのではないか。

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