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理事長のひとこと

第251回 エジプト・ムルシ大統領の行方とアラブの春

  今回はエジプトのムルシ大統領の行方というテーマについて考えてみたい。

 我々は、エジプトに大きな変化が訪れた後、ムルシ大統領が誕生したことで、「アラブの春」におけるエジプトの一応の「絵」が描けたのではないかと考えていた。
アラブの春当時、エジプトにおける対立の図式は、「Generals vs. Brothers」というものであった。「Generals」とは将軍達であり、「Brothers」はムスリム同胞団のことである。ムバラク政権を実質上支えていたのは、軍人達であった。彼らは実際に軍を通じて権力を握っているだけではなく、現世的・世俗的利益という形で、経済プロセスにも介入しており、経済と軍事機能とが一体化した社会的な勢力を作り上げていた。

 アラブの春によって、ムバラク政権を打倒した民衆達は、大統領選挙を通じて、ムスリム同胞団の出身者であるムルシ大統領を選んだ。その後、大統領は軍を自らの影響下に置き、首を切る人を特定化して、軍の中から大統領に忠誠を誓う将軍達を引き上げることに成功した。これには相当な政治的な業が使われたのだろう。これで「Brothers」と「Generals」の対立は、「Brothers」の勝利となった。これによって「エジプト政治の枠組みはそれなりに安定するのではないか」という意見が国際的にも多かっただろう。その証拠に、ガザ地区において、イスラエルが戦車を国境地帯に並べ、今にもハマスを徹底的に弾圧するような局面が続いていた時に、ムルシ大統領による仲介が成立し、イスラエルとハマスとの間に停戦が実現した。このことは、ムルシ大統領の国際的な評価を背景として、エジプトが具体的な紛争処理能力を身につけたということでもあった。
 他方、イスラエルからすれば、イスラエルとエジプトとの平和条約は「最後の頼り」であり、これが破棄されるようなことがあれば、国家存続の危機を常に抱えることになる。このためイスラエルはムルシ大統領を無視することはできず、ハマスとイスラエルとの間の停戦の実現となったのだ。

 ところが、その直後、ムルシ大統領は大統領権限を強化する仕組みを導入しようとした。彼が提示した新憲法案では、大統領の能力・権限が大幅に拡大されていた。これに反対する人々が大きな力となって出てきたのが現在エジプトで起きていることである。このことはエジプトに「Brothers vs. Citizens」という新しい局面が生まれたということを示している。
 アラブの春におけるエジプトでの奪権は、「Brothers」のみによってなされたわけではない。「Citizens」と括られる人々も存在した。彼らは、イスラムという形で大括りするよりも、西側世界におけるCitizensに近い、リベラルという名で呼べるか、あるいは宗教性が非常に強い「Brothers」と呼ばれる「ムスリム同胞団」に対して、「世俗的な集団」とでも言える人々である。いずれにせよ、現在、エジプトにおける対立は「Generals vs. Brothers」ではなく、「Brothers vs. Citizens」という構図になり始めている。

 何故こうした図式がエジプトで登場したのか。勿論、アラブの春以降の権力基盤の継承に不安定性があったということは一般論として言える。しかし、もう少し注意深くこのことを見てみる必要があるだろう。一言で言えば、現在「Citizens」を代表として、ムルシ大統領の権限強化、そして宗教色が強いレジームに反対している人達は、出生からこの方、エジプトにおいて、実質上挑戦するべき「機会」を与えられてこなかった、あるいは機会が多少あったとしても、それは非常に制限されていた人達である。そしてそのことについて非常に自覚が強い人達だと言えるだろう。

 日本で1960年頃、あるいはそれ以前からアラブについて勉強していた多くの人達は、「Gamal Abdel Nasser(ナセル)」に魅かれてアラブの勉強を始めた。私もそういうアラブ研究者の名前を何人か挙げることができる。彼らは「Nasserism(ナセリズム)」、即ち「ナセルが立ち上がり、被抑圧に置かれていたエジプトにおいて一大勢力を成し、そしてアラブの他の主権国家の枠組みから、他の人々との連帯・連立・連合を考えたこと」、そして、そうした志・器量を持っていたナセルに魅かれて研究を始めた。革新的な動きをしたナセルに引っ張られてアラブの学問世界に入ったのだ。しかし、実際にはナセルの下では、エジプトは経済的に報われない時代が続いた。当時は米・ソの冷戦体制であったため、ナセルのエジプトには米国からの援助が十分に来なかった。しかし、ソ連と組めば良いかといえば、ソ連も経済的に困窮していたため、エジプトの人々に「機会」を与えるような枠組みは作れなかった。
 これがナセルの辛さだった。その後、ナセルは心臓病で亡くなり、Muhammad Anwar al-Sādāt(サダト)がナセルの地位に就くことになる。ナセルと比較して、サダトは実務的な物事の考え方をする人物であった。彼は、米ソ対決が続く中、エジプトに「機会」を引き寄せるためには、米国の望むイスラエルとの平和条約の締結が不可欠だと見極めるようになる。これがエジプトとイスラエルとの間の安定的な平和条約に繋がった。しかし、イスラエルとの国家間関係を樹立したことは、一方で批判の対象となり、サダトは銃弾に倒れるという経緯を辿る。サダトの時代がもう少し続いていれば、エジプトの民衆はおそらく「経済的機会」そして「諸課題に対する挑戦」を実現できただろう。しかし、サダトの暗殺でその望みは絶たれた。
 その後、Muhammad Husnī Mubārak(ムバラク)が登場する。当初は目立たない人と言われていたムバラクがその後、長期に亘り、大統領の地位に就くことになる。彼の下において、エジプトの政権内部の腐敗は大きなものになっていった。軍部には利権が分配された。これがエジプトの構図となっていった。

 そして、アラブの春では、この構図が覆された。「Citizens」と呼ばれる、これまでエジプトにおいて「課題に挑戦する機会」を与えられてこなかった人々は、ムバラク政権を倒せば「デモクラシー」が認められると考えていた。デモクラシーとは、必要であれば民衆が政権批判に立ち上がることを当然とした仕組みである。ムルシ大統領が目指しているものがどのようなものかまだ明らかではないが、大統領権限を強化するという点が「Citizens」と呼ばれる人々にとって、「また独裁への道を歩むのではないか」と映ったことは間違いない。当然のことながら、民主主義社会において権力批判は当然である。大統領は選挙によって選ばれているため、特定の権限を与えられているが、その行使もまた、民主主義的な諸法制の下において、法の支配の下においてという関係が想定されている。そうした前提において、今回の憲法改正は、もう一人の独裁者を作り上げかねないと、「Citizens」が捉えたことが極めて重要である。

 「Citizens」と「Brothers」との関係は今後一体どうなるのだろうか。現在進行中の事柄であり、はっきりとは分からないが、「Citizens」が反撃することを許してしまうような、少し粗忽で思慮が足りない大統領権限強化が一挙に進められた背景には、ムルシ大統領の心のどこかに「国際社会においては、自らの声望を前提とした停戦あるいはイスラエルとの関係構築という期待が寄せられているから、国内においてはより強い権限を持って、エジプトを治めよう」という気持ちがあったのではないか。しかし、ムバラク政権を追放した「Citizens」達は、やはり、それとは違う政治体制を望んでいたということだろう。TV画面に映る街頭に出た「Citizens」の表情からは、ムルシ大統領に対する抗議の強さと失望感、あるいは独裁に対する恐怖といったものが読み取れる。
 アラブ社会においてエジプトの持つ意味は極めて重い。そのエジプトの行方がまた根底から問われ始めていることから、アラブの春はまだ着地していない、空中に舞ったままだと思わざるを得ない。

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