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理事長のひとこと

第253回 国際社会における邦銀の役割

  日本の銀行が21世紀の日本そして国際社会の中でどのような役割を果すのかというテーマがある。具体的には、3メガと呼ばれる巨大な日本の金融機関が日本で、そして国際社会の中でどのような動きをしているのか、ということから議論を始めるのが望ましいだろう。

 一言で言うと、現在、時期をずらした融資拡大の機会が生まれている。もともと第二次世界大戦後の日本では法人部門を中心として資金需要が非常に強かった。当時20行以上あった日本の大手銀行は、持続する法人部門の資金需要にどのように対応できるのかを問うた。当時の大蔵省の規制によれば、大手銀行は自由に店舗展開ができなかった。また商品の設計についても自由度がなかった。このため、預金はむしろ中央銀行やその他巨大銀行ではないところに安定的に集まる構図があった。このようなもっぱら預金を集める金融機関から『インターバンク(銀行間取引)』という形で大手金融機関が銀行間貸借して融資を行うという形態が存在していた。私は1970年代の初めから現実経済を分析するというエコノミスト稼業に入ったが、その当時の日本の巨大企業の資金需要は大変大きなものだった。例えば大手製鉄所は農協等からも資金を借り入れなければならなかった。それほど投資需要は巨大であったのだ。従って、こうした法人部門の巨大な資金需要に対して、預金をいかに集めて収益機会とするのかが日本の大手銀行の戦略であった。言うならば、預金の吸収力によって銀行の成長力が決まるという時代であった。また、支出と収入の差が大きく、手元の黒字主体から、赤字主体である法人部門に資金を移転させることを通じて金融機関の役割が定義された時代とも言えるだろう。

 他方、既に1970年代の半ば以降、米国を中心とした先進工業国は、法人部門が銀行に依存しない時代を迎えた。即ち、金融自由化と言われる流れの中で法人部門が社債の発行、あるいはCP(コマーシャル・ペーパー)の発行を行い、直接資金市場から自らの信用で資金を引っ張ってくる時代に入っていたのだ。そうした中、当然ながら、銀行の在り方について問い直しが行われることは避けられなくなった。この金融自由化のプロセスの中で米国を中心とした先進国の金融機関は、黒字主体から赤字主体に資金をシフトさせるのが銀行の職務だと定義したのでは、自分たちの明日はないということに気づく。ここから、経済情報の生産能力を高め、この情報生産力を背景として、資金仲介全般に関与するという流れが出てきた。
 こうした世界の流れを背景に日本でも伝統的に黒字主体から資金を受け取り、これを赤字主体である法人部門に流すことを本業としてきた銀行が第二の本業、第三の本業というものを考えるようになる。その一つが家計部門に焦点を当てることであった。家計部門も住宅ローン等を始めとして、新しい資金の借り手として登場する経緯にあったため、家計部門を対象とした金融機関活動が起きたのだ。一方、社債や国債の発行も大きなテーマとなった。こうして証券を扱うという形を通じて新しい本業の形態が見出された。いずれにせよ、家計部門や、社債やCPの発行等において、依然として大きな変化の中で新しい金融手段を手にしようと模索していた企業部門に対応することを通じて、銀行の業務は少しずつ変化し始めた。しかし、我が国においては、経済情報の生産能力が金融機関として問われるという時代はなかなかやってこなかった。当時、大手銀行の企画部の人たちと議論した際、彼らは自嘲的に「我々は企画部ではなく比較部だ」と言っていた。即ち他の邦銀をベンチマークとしていたということだろう。その銀行と自行との間にどのような差異があるのか。埋めなければいけないものがあるとすれば何なのか。銀行がもっぱら比較を通じて新規業務を見出だす、あるいは絞り込むという作業をしていた時代であった。そういう意味で、企画部長は実は比較を行う業務の上に乗っていたという姿であった。しかしその当時から世界の金融機関は、本当に必要な経済情報を生み出す力が銀行あるいは市場における資金取引を通じて発生することに着目しようとしていた。私は、経済情報の生産能力が欧米の金融機関に多大に発生し、そこに生まれた塊りが世の中を大きく動かしたというほど、楽観的、肯定的には見ていない。しかし物事を見る視点として言うならば、「経済情報の生産に見るべきものがなければ、金融機関といえども、スマートプロフィットは獲れない」ということについては彼らの方がより切実だったと言えるだろう。ある程度信用度のある企業は既に市場から社債発行を通じて資金を取り入れていた。短期の資金についてはCPという形で同様に企業の信用度を背景として集めることができた。また、増資を通じて成長のために必要な資金をマーケットから調達することも当然のこととして生まれていた。こうした資金調達をした場合、新たに投資家になってくれる人々に対して調達した資金をどういう分野に使うのか、それが予定通り進行しているかどうかについての報告をしなければならない。これをガバナンスと言っていいだろう。そして、このガバナンスこそが重要だということになる。IR(Investors Relationship)ということが言われたのもまさにこうした脈絡に関わってであった。
 日本は残念ながらそうした経緯を辿ることが薄かった。なぜならば、悪いことにバブルという時期が1980年代の後半にやってきたからだ。この時には、投資家も今から考えればいかがなものかと思う状態であった。時価発行増資を繰り返し、それをはめていく。言うならば疑似持ち合いという形で、これまであまり関係のない企業がある企業の増資で株式を引き受ける。今度は逆に自らが増資しようとする時には、その発行した株を買い取ってもらうという疑似持ち合い等を通じて自己資本が膨れ上がるという過程があったのだ。そうした過程を通じて調達された資金はもっぱら不動産に投入され、不動産部門では地価が上昇し続けた。しかし最後の段階で誰も買い手が登場しないことになれば、地価の値上げゲームにも終わりがやってくる。これが遂にやってきたのが、バブルの崩壊というプロセスであった。
 このように、1980年代、先進国の一部ではかなり積極的に経済情報を生産するという作業が行われようとしたにも関わらず、我が国ではそれが実現しなかった。バブル崩壊過程が続き、そこからの立ち上がりに際して、日本の銀行はそれぞれ大変な苦労をした。自己資本の大幅な毀損も生まれ、規模の大幅縮小、あるいは業務の仕切り直し等々が発生している。バルクセールという言い方もこの不動産処理を巡って発生した。そうした経緯の中、市場情報を発見する作業は、金融機関の外側で起きた。当時は、保険会社や損保会社そして金融機関、銀行の破綻等もあったので、結果としてバルクセールという形で値段の発見作業を銀行以外の人々に委ねるというプロセスが生じたのだ。このためマーケットプライスに最も詳しい人は銀行の外にいるという時代もあった。我が国で経済情報を銀行が自らの手で生み出すというそうしたテーマが本当に根付いたのは、バブルの処理が終わった後だと読めるだろう。ここで大変な模索が始まった。

 しかし、現在の局面は少し異なる。mortgage loan(不動産担保証券)が破綻した、いわゆるリーマン・ショックが契機になったと言える。担保証券を大幅に資産の部にもっていたヨーロッパの銀行もその被害を受け、バブルの崩壊過程がヨーロッパの南欧を中心として起き、それが主権国家の債務危機というテーマに繋がった。ヨーロッパの銀行が資産の部に自国の国債を大量に抱え、その国債の値段が下がるという財政危機と金融危機、銀行危機が一体化するという時代を迎えたのだ。このため、ヨーロッパの銀行を中心に、東アジアにおいても『貸しはがし』が行われた。これまでの融資について、返済の期限が来たら耳を揃えて返済してもらう。リファイナンス(再金融)という形でその資金を再び投入することは手控えるようになったのだ。ここから邦銀に対する資金需要が生まれる。東アジアにおいて投資を先行させた、いわば前倒しで経営をしてきたところは、銀行がリファイナンスに応じなければ、新たな貸し手を探さなければいけない。その貸し手として邦銀が登場し始めたというのが、昨今の状況である。このため3メガに対する資金需要が東アジアでも大きく生まれることになった。現在、シンジケートローンという貸し方を中心として、この3メガを中心に東アジアのビジネスを増やすことに動いている。即ち、現在日本の銀行では、資金を黒字主体から赤字主体に回すというプロセスで利益を上げることが国境を越えて起き始めているのだ。これは高度成長期の日本の銀行の融資形態と基本的には同じものだと言えるだろう。借りる主体が、日本の法人部門から東アジアの成長を担う主体に変わっていっただけで、パターンとしては同じものが成立している。この先においては、「より高度な経済情報を生み出す力を金融機関がどのようにして身に付けるのか、そのためにはどのような努力が成されているのか」というテーマが非常に重要になるだろう。
 例えば、ICTの分野においてはクラウドコンピューティングやビッグデータと言われるようになったが、銀行を巡っては巨大なデータ量がある。ここから意味のある命題を引き出すという作業が、現在、銀行に求められる経済情報の生産手段ではないだろうか。3メガの内部にそうした力量がどの程度あるのか。外部観察者あるいはエコノミストという立場から一つひとつチェックする必要があると思っている。もし我々が何か示唆できるようなことがあれば、少しでもそうした示唆を続けることが重要なのではないだろうか。

 邦銀が新たな局面を迎え、東アジアを中心に融資量を増やす局面がやってきた。そうした資金需要に応ずることは、回りまわって日本の中の仕事も増やすという順繰りを一つひとつ確認するプロセスに入ったことは大変良かった。ある意味ではそうしたチャンスが生まれたと言っていいだろう。しかしその先にどういう形で経済情報の生産に行きつくのか、新しい競争、新しい挑戦が待ち構えているというのが私の見方である。

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