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理事長のひとこと

第263回 中東における米国の関与と日本の外交

  イラクの情勢が大変厳しくなっている。軍事の分析は素人ができることではないが、それでも海外の新聞が伝えているごく足元のところで言うと、マリキ政権に不足しているのは戦闘機やヘリコプターのようだ。現在Islamic State of Iraq and Syria(ISIS)が、サダム・フセインが生まれた場所であるティクリートを制圧しているが、10年以上前のイラク戦争の際、サダム・フセイン陣営の抵抗が一番強かったのがこのティクリートだったことを思い出す。イラクのマリキ政権としては、ISISがティクリートを占拠して国家樹立を宣言するとき、軍事的に対抗するための戦闘機が必要だということのようだ。
 これに対してアメリカはF16戦闘機2機とアパッチという機動的なヘリコプター6機をマリキ政権に供与することを一度は決めたようだが、議会やホワイトハウスの中で「マリキは本当にそれをIslamic Statesを撲滅するために使うのか。違う目的で使うのではないか。」という議論もあり、とてもすぐに手渡せる状態ではない。
 そうした中、ロシアは大きな輸送機に12機の戦闘機SU25を載せ出航させた。既に何機かはイラクに到着している。更に、未確認情報ではあるが、イランがマリキ政権に対して、サダム・フセイン時代に預かっていた戦闘機を供与したという話もある。1991年、当時のアメリカのブッシュ政権はクウェートを占領したサダム・フセインを攻撃した。その際、サダム・フセインは所有していたフランスのF1 Mirageやロシア製の戦闘機をイランに疎開させたそうだ。それ以前にイランイラク戦争を闘っていたサダム・フセインだが、それからはしばらく経っていたし、放っておくとアメリカに取り壊されるかもしれないということからそうした対応をとったという。そして今回、イランは同じシーア派のマリキ政権に今まで預かっていた24機のMirageと80機のロシア製戦闘機を返すという。このように実質上のイラクの分断が起きている中での各国の対応については様々な報道があるが、アメリカは戦闘機の譲渡一つも容易にはいかない、あるいは躊躇しているのが実状だ。

 日本におけるイラク問題の評論にはそれ程多角的なものがあるとは思えないので、主な情報源は英語のものになるが、イラクはもともとシーア派とスンニ派の緩衝地帯という認識が強くあったという説をよく目にする。第一次世界大戦後の秩序形成の中でオスマン=トルコは消滅した。それ以前はオスマントルコとペルシャが中東で対峙しており、シリアもイラクもなかった。しかしそのオスマントルコ帝国が消滅した後、一時的に様々な国家がこの地にでき、イラクは緩衝地帯となったというものだ。この緩衝地帯にサダム・フセインが登場し、彼が気に入らないということでアメリカが攻撃することになったのが湾岸戦争であった。しかしその直前のイランイラク戦争においては、1979年にイランで登場したハメネイの革命政権を攻撃するためにサダム・フセインに兵器を与えたのが当時のアメリカの指導者であったことは、ほぼ歴史的に間違いない。このようにアメリカの中東関与はずっと間違い続けてきている。「緩衝国家であり、手をつけないはずの地にサダム・フセインという人物が登場し、大きな力を持ち、周辺を含め暴力で抑え込もうとしたので倒した。その結果、ばらばらになってしまった。」というのが実際であろう。中東地域に詳しいヨーロッパの学者、そして一部の中東の学者も「そもそもが間違っている。」と言っている。今日の中東の不安は、歴史的なアメリカの中東認識がいかにずれていたかの結果だという議論がアメリカの内部を含めて起きている。

 そうした中で改めてアメリカの中東関与について考えてみると、まずオバマ政権の特徴について認識する必要があるだろう。オバマ大統領の下では現在、スーザン・ライスが安全保障担当補佐官に就いている。アメリカの政治学者の多くは、この大統領と安全保障担当補佐官は残念ながら非常にまずい組み合わせだったと言っている。彼女には明らかに「判断がおかしいのではないか。」という点が色々浮上している。例えば、アメリカと中国との議論においてはG2という捉え方が繰り返し登場する。これは世界全体をマネージする上において米中がお互いに戦略的に重要な役割を果そうというメッセージであり、北京からずっと提案されているものだが、昨年の秋スーザン・ライスはこれを認めるかのような発言をしてしまった。もちろんアメリカの中にもそうした意見は存在する。しかし、果たしてどうかという意見の方が数としては多いだろう。北京はこのスーザン・ライスの発言をオバマのメッセージとして受け止めた。そしてその後、防空識別圏の設定に踏み切った。北京が「アメリカとはお互いに戦略的に関心が高い問題については理解し合い、仕切りをした上で、やるべきことはそれぞれ設定しよう。北京は防空識別圏を設定する。東シナ海、あるいは南シナ海においてもアメリカが介入してくることはないということだろう。とりあえず介入してくるかどうかを確かめてみよう。」とでも言うような行動に出たのだ。北京がこうした行動に出始めたのは、スーザン・ライスの実質上のG2公認発言以降ではないかという議論がある。
 更にアメリカの政治学者の中では、「オバマ大統領にしろ、スーザン・ライス大統領補佐官にしろ、決定的なのはヨーロッパが身近ではないことだ。」という意見もある。ヨーロッパのことが分からないから、ヨーロッパの首脳の反応が読み切れないというのだ。ロシアがクリミア併合をしたことに対しては、もちろんヨーロッパの人も西ヨーロッパの人も憤りを感じている。しかし、正直なところでは「もちろん当時はソ連邦が崩壊するとは思っていなかっただろうが、もともとフルシチョフが不用意にウクライナに渡したことに発している。いわば彼らの内部の仕切り問題に過ぎない。これを侵略とのみ断ずるのは余り適切ではない。クリミアの話は東部ウクライナとは区別したほうがよいのではないか。」という雰囲気はドイツにもフランスにも強いのが実態だ。ところが、このニュアンス、即ちプーチンとの間でどこで折り合いをつけるのかのニュアンスをオバマは分かっていない、というヨーロッパの感触が非常に強い。その上、今回オバマはまた中東でも原則を提示できないでいる。
中東について言えば、アメリカは長い歴史の単位で考えて、どうすべきか迷いに迷っている。シェールガスで中東の油に依存する比率が急速に下がっていることが背景にあるのは誰でも考えつく要因だろう。しかし、それだけではない。原油の問題だけではなく、中東の民主化にアメリカがどう立ち向かうのかについてもアメリカは迷っている。

 1979年はアメリカが中東向けの外交を本気になって考える上において非常に重要な年だったと言えるだろう。その理由の一つとして、カーバ神殿占拠が起きたことが挙げられる。サウジアラビアにおけるある種の原理主義者たちが、カーバ神殿を占拠した。このときサウジの王朝がどうなるのかについて、アメリカ国務省の内外で様々な議論が起きた。「サウジアラビアをどうするのか。サウジアラビアはそれ程長く持たないかもしれない。」ということが正面切って議論されるようになったのはこのカーバ神殿以来のことだ。そしてこの同じ年にイランイスラム革命も起きている。ホメイニという人はアメリカにとって理解できない人物だったが、実はイラン人もホメイニをそれほど分かっていたわけではないという説が多い。テヘランのジャーナリストたちと議論すると、そういった話をよく聞く。ホメイニの親族がパーレビに抑圧を受けたことから、パーレビ王政に対して強い反感を持っていることは知られているが、公人としての彼のキャリアパスはよく分からない、とテヘランの知識人も言っている。ところが実は、その点についてはロシアがよく知っている。これはモスクワの有識者から聞いたことだが、ホメイニはアゼルバイジャンで生まれ、それゆえにソ連邦のパスポートをずっと持っていた。パーレビ体制で抑圧を受けたときソ連邦のパスポートがホメイニをいくつかの場面で救った事実を、ソ連時代のインテリゲンチャたちは知っていた。アメリカもテヘランもよく分からないホメイニをよく知っているのはモスクワという面があるのだ。イランイスラム革命についてアメリカが十分理解できなかったうえに、その後444日に亘りテヘランのアメリカ大使館が占拠されるという事件が起きた。これが解決されたのはレーガンが選挙にパスしたときであった。これは軍事的に叩くことも辞せずとしたレーガンの功績と言えば功績とも言える。
 そして同じ1979年、ソ連邦がアフガニスタンに兵を入れている。ソ連の言い分を聞かない集団が出てきたことがけしからんというのが兵を入れた理由であったが、このことが後のソ連邦の崩壊の引き金となった。同じ年にサウジにおいては、ある種のイスラム原理主義に属する勢力が、サウジ王朝のレジームは腐敗しつつあるという規定の下に、行動を開始した。このような大きな変化の中でアメリカは、起きていることを終始十分理解できていなかったのだ。
 ジョージ・W・ブッシュ政権下では、アルカイダが蜂起し、9.11同時多発テロの実行者となるが、この際もアメリカの中東分析は相当おそまつだったと言える。少なくともジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)あるいはその周辺は、テヘランの政権がアルカイダの背景にあるという初歩的な誤りを信じ込んでいたのだ。このことについてテヘランの人たちは本当に驚いていた。もちろん今日ではそれも少しずつ修正され、周知の通り、現在オバマ大統領とロウハニ大統領は「イランに対する経済制裁をどう解除するのか。そのためにはイランはウラン濃縮についてどこまで放棄するのか。」を議論するまでになっている。7月20日の期限までに、この交渉がまとまることはおそらくないだろうが、そうした議論がアメリカとイランとで始まる程認識は変わってきてはいる。しかし「これまでに何と時間がかかったか。」というのが率直な感想だろう。

 我々CIPPSは現在、サウジアラビアのトルキー・ファイサル皇子とコンタクトを取り、湾岸エリアの環境浄化のプロジェクトを進めようと思っている。このトルキー・ファイサル皇子は、国連大使や駐英大使も歴任したサウジアラビアの王室の中ではリベラルな価値観を持った人だが、最近彼がファイナンシャルタイムズのインタビューに答えた記事を読んだ。そのインタビューで彼はアメリカ社会の変化とアメリカの外交政策の振れ幅について触れていた。彼は「アメリカにおける中産階級の厚みがグローバライゼーションの下で猛烈に薄くなったことが、アメリカの政策の振れ幅を極めて大きくしている。オバマ政権の下で中東政策が右往左往したのは見ての通りだが、オバマ政権の後に登場するアメリカの政権がそれではかつてのような安全保障や外交について確立した姿勢を持ち得るのか。そう考えるのは甘い。かつてのアメリカの外交安全保障を支えた中間階層の厚みは確実に薄くなっている。だから振れ幅の大きいアメリカの外交安全保障関与というのはサウジアラビアの明日を考える上でも前提だ。」と述べていた。サウジアラビアのインテリジェンスはお金で学者の見解を買うというやり方が多いが、彼がアメリカを代表する学者にお金を払い続けているのは間違いないだろう。「アメリカの中産階級の薄さがアメリカの外交の振れ幅を大きくしている。」という意見は、もちろんトルキー・ファイサル自身が直接オブザベーションしている面もあるだろうが、基本的にはアメリカの学者の見解だ。アメリカ社会も含め広く世界のことを議論する人たちがそうした議論を始めていて、トルキー・ファイサルとしてはサウジアラビアとしてアクセプトできる見解を選択していると考えられる。
 他方、トルキー・ファイサルのように日本政府がアメリカの社会学者や政治学者たちに適切なレポートを依頼しているとは正直思えない。当然こうした視点に基づいて首相に説明する人も乏しいだろう。トルキー・ファイサルも述べているようにオバマ大統領が消えたとしても、アメリカの次の政権もまた振れ幅のかなり大きな政権になると覚悟しなければならない。しかし、こうした議論が日本ではどのぐらいされているのだろうか。日本でも安全保障に関わる色々な会議が作られているが、そうした議論になっているとは思えない。現在、米国はリバランスを掲げているが、中東の問題をこれだけコントロールできずに、ピボットをアジアに移すことはできるのだろうかというテーマについても議論されているのかどうか。

 安倍政権下における集団的自衛権の議論は、日本だけでは足りない部分を、アメリカの関与に依存するがゆえに、我々も少しでも対称的な軍事同盟に近づけた方がいいという方向の確認である。これはもちろん間違っているわけではない。これも一つの議論の仕方であり、安倍政権がこうした選択をしたことを根底から否定するつもりはない。ただ我々には冷静なアメリカ認識が必要だ。
 アメリカは中東において、例えばイラクにおいても兵隊を引いた。アフガニスタンからも兵隊を引いた。ところが、当然ながら外交官は残っている。その外交官は誰が守っているのか。米軍が守っていると思われるかもしれないが、実際はそうではない。2007年からBlackwaterという会社が連邦政府と契約して、アメリカの外交官の安全を守っている。中東に勤務しているアメリカ人外交官の身の安全は、連邦政府の役人でもなければ、警官でもなければ軍人でもないBlackwaterという私兵集団が守っている。アメリカもそれ程変わってきている。日本政府の場合、例えばセコムやALSOKと契約して、海外に駐在する外交官やJICAの危険地域に赴任している人たちの身の安全を守ってもらうことができるのか。アメリカに守ってもらおうとしても、そのアメリカも私兵にお願いしているのが現実である。こうした中で日本はどうしたらよいかという議論はやはり行われて然るべきだ。「集団的自衛権を認め、アメリカがついてくれるから世界の各地で大丈夫」というような考えについては、根底のところから議論し直す必要がある。集団的自衛権は日米安保を堅固なものにするのに必要だ。しかしそれを認めるだけで十分ではなく、安全保障の前提が根底から変わってきていることについて根本から議論すべきである。
 中東における米国の関与が今後どういう形をとるのか。その時に何が明らかになってくるのか。そしてこのことから我々は何を学んで自分たちの問題をどう取り上げるのか。こうしたことが議論されるべきである。そしてその手前のところで、先程のトルキー・ファイサルのインタビューの前提にあるような種類の議論について、国家安全保障会議、あるいは谷内正太郎氏が引き受けられた会議等で内閣総理大臣も交えて議論される必要があり、腰を据えた外交的取り組みを含む点検が必要だ。アメリカの中東への関与が今後どういう形をとるか注意深く観察して、そこから教訓を引き出すことが重要だと判断している。
(2014年7月3日)

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